ほかの人の人生で一番幸運だった体験を見て『幸福認識力』を鍛えよう!40名分

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人によって何を幸運と感じるかは差があります。特に日本人には、その社会的特性からじっさいには自分が幸福なのに、自分が不幸だと思い込んでいる人もすごく多いです。

不幸だと思い込んでいる人が、いくら開運グッズや日にちで開運したとしても、幸福に気がつかないのでは、まったく意味がありません。

ですから開運するためには、幸運だという認識や幸運に気が付く感受性『幸福認識力』も必要になってきます。

そこで今回は人生で一番幸運だった体験を40人に聞いてみました。だれもがそれは幸運だと感じる幸運もありますし、これを幸運と感じる人がいるなら、私は幸せだと、その体験談を見るだけで幸運度がアップすることもあります。

そういう気持ちで見てみましょう。

このページの目次です

パチンコの大当たりが34万円

現在、30歳、24歳の時に結婚し、家族は妻に子供が3人、仕事は事務職をしている父親です。

人生で一番ラッキーだったと思うことは、パチンコの収入が1日で34万ほど勝ったことです。

当時24歳で結婚する前の話です。

パチンコ屋にはずっと通っていましたがとにかく確率重視で期待値を算出して安定に勝つということに重点を置いて打っておりました。

毎年年収もパチンコだけで100万円近くは稼いでおりました。

朝から並んで、夜の9時まで打つということを時間がある限り続けていました。

いつものように回りそうな台を選んで、座ると当時1/400の確立のウルトラマンという台に座り、1時間ほどで大当たりし、そこから夜の7時までずっと連荘が続き、気づいたら積まれた箱は49箱でした。

毎回毎回隣に座ってくるおっちゃんに絡まれた記憶があります。

打ち終わり、換金するときの景品が両手で持つこともできす、店員さんに袋にいれてもらい、「気おつけてください」と注意されたのを覚えています。

その時の感情は、当時結婚資金を貯めていたこともあってこれで余裕ができたので結婚ができると考えていました。

(笑)
妻からすれば、ちゃんと働いたお金で指輪を買ってくれといわれそうなのでしっかりと黙っていました。

なんにせよ結婚資金を手に入れる事ができ自分の中でもかなりの転機だったと思います。

パチンコを打つという行為自体は気分転換にすごくいいと思うのですが、真剣に副業として考えるとどうしても一日の時間的拘束が長いので、結婚をした今は全く打ちにいっておりません。

というか、妻に止められてしまって行くことができません。

子供が大きくなって子育ても落ち着けば再度交渉の余地はあるかもしれませんが、やはり時間的拘束が長く、自分の人生のプラス(スキル)になるようなこともないので、今のうちにしっかり、別の収入手段を考えておく必要があります。

今は別の収入として、為替であったり株式投資を勉強しております。

やはり、結婚後は自分のためだけでなく家族のことを優先的に考えるべきなので、その中でやれる範囲をあらかじめ考え、行動として移しておくことが賢い選択なのではないかと思います。

32歳女冷蔵庫食料が一気に増えてラッキー!

ラッキーだったと思う事の体験談を書こうと思います。

私がラッキーだったと思う事が最近一つあります。

その理由は、
「あ、冷蔵庫の中がカラだ、買い物に行かなくちゃ」
と思った矛先に、義理の父母が遊びに来てくれて、冷蔵庫の中に補充する食料をたくさん買ってきてくれたからです。

ラッキー!と思いました。

これで食費が浮くじゃんと思ったのです。

ラッキーなことって立て続けに起こりますよね。

私は最近そのように感じます。

それと同時にアンラッキーなことも立て続けに起こります。

私はラッキーなことは沢山怒ってほしいですが今回の様に沢山食料を持って着てくれたという事はその分義理両親に感謝をしなければならないと思っています。

そして感謝をしたことにより代償と言いますか、良いことが起こる、そんな感じがしています。

私はラッキーな人というのは周りに尽くしている人がラッキーになると思っています。

その理由は私がそうだと感じたからです。

いくらラッキーになりたくても成れない人というのは、自分の都合ばかり考えて人の役に立っていない人というのがラッキーになれないのだと思います。

自分のことばかり考えている人というのはあまり良いように思われませんしね。

という事で私はラッキーだなと思えたことが最近あったので良かったなと思っています。

自己紹介が遅くなりましたが私は今主婦です。

今回のラッキーなことが起こったことは最近、一週間の内に起こりました。

その時の心情はとてもラッキーだったという事です。

その先週はあまりいいことがなくてずっと子供が熱を出したりしていたので、ああとなっていたのですがその反動かラッキーっだと思う事が結構ありました。

またラッキーなことが起こればいいなと思っていますし、相手にとってラッキーになることをしていきたいと思っています。

見ている人にアドバイスするとしたら自分がラッキーになりたいのであれば人にラッキーになることをしてあげると良いと思います。

46歳 女 子どもを授かれてラッキーでした

40代の2人の子どもを育てる主婦です。

人生で、1番ラッキーだったと思う事は、やはり2人の息子を授かれた事だと思います。

私は、長男を授かるまで、子どもを欲しいと思った事は一度もありませんでした。

というよりも、子どもに興味や関心が全くありませんでした。

いつまでも、自分がまだまだ子どもだと、どこかで思っていたのかもしれません。

目先の将来しか見れない浅はかで稚拙な考え方だったと思います。

結婚観も全く持っていなかったので、あらためて、よく結婚できたな、と自分でも思います。

主人が私の年齢も踏まえた上で、結婚の提案をしてくれた事により、今の息子達に出会える事ができました。

私の人生の中で、こんなにトントン拍子に物事がよく進んだのは、これだけ!と言っても過言ではないくらい、色々と紆余曲折してきた事もたくさんありました。

そう思うと、結婚して、すぐに長男を授かったので、新婚なのにね、なんて言われた事もありましたが、今まで長い間、好き勝手にしてきて、結婚観もなかった私には、結果的には、とてもいいタイミングで息子を授かれたのは、本当にラッキーだったと思います。

命をラッキーと言う言葉で表現するのも、どうかと思いますが、もし、主人が私の年齢を考慮していなければ、一緒に住んで将来を考えていなければ、私は、息子達に会う事はできなかったかもしれないと考えると、結婚や子どもに対しての意識が低かった私が、結婚ができて、息子が2人もいる事に、今では幸せを噛みしめるようになりました。

しかし、この幸せのきっかけは、私が、努力して掴んだり、積み上げたものではなく、彼のおかげと、やはりラッキーだったんだと思っています。

今は、このラッキーな出来事を確かなものにする為に、妻として、母として、息子達を健やかに育てる事が出来れば、男子3人に寄り添える事が出来れば、と思っています。

母親にしてくれた息子達は、どう思っているかは分かりませんが、私は、ラッキーでした。

35歳 男性 オンラインゲームで10名のうちの一人になったこと

はじめましてスクリュウと申します。

ゲーム好きのプログラマーです。

私が人生で一番ラッキーだったと思うことは有名なオンラインゲームで10名様のアイテムに当たったことです。

お小遣いが自由に使えない学生時代、学校が終わり、宿題が終わった後の娯楽はオンラインゲームをすることが唯一の楽しみで、毎日のように遊んでいました。

当時は知り合いも多くみんなでよく冒険に出かけてました。

チームを組んでいましたが、自分の位置は強くもなく弱くもないごく平均的な強さでチームの活躍もそこそこの、普通が似合うキャラでありました。

そんな中、とある期間限定で条件を満たせばだれでも参加できるイベントがありました。

当時、そのゲームは10万人以上のログインがあるかなり人気のあるゲームでしかもそのアイテムはものすごく強い武器が手に入るという自分からしたら夢のまた夢のお話でありました。

当時はせっかくなのでイベントのみ参加しようと思い、条件を満たしてその場を終えました。

その後、忙しくなってしばらくログインすることができなかったため、イベントのことはすっかり忘れていました。

ふとイベントのことを思ってログインをして確認したところ、知らないアイテムが存在し、何かのログインボーナスなのかなと思ってネットで調べたところ、すっかり忘れていたアイテムが手に入っていました。

当時はうれしいという感情より意味が分からない状態でしたがメンバーにそのことを話すと瞬く間に広がり、チームメンバ以外でも有名になり、注目されるキャラになりました。

注目されることが今までなかったため、とてもうれしく感じました。

それからその武器のおかげでレベルアップがサクサクで最終的にチームの上位の強さを誇るキャラになりました。

最終的には社会人になって引退をしましたがその武器のおかげでゲーム内ではありますが人生が変わるほどの体験ができて非常に楽しく過ごせたと思います。

以降はいろいろゲームを行ったり、宝くじを買ったりとしましたが当たったことがないです…。

49歳男 亡くなった父からの贈り物

新潟県在住の49歳男性です。

6年前に父親を急病で亡くしました。

元気な様子から自宅で突然倒れ、約10日間の病院治療の末亡くなりました。

あまりに突然の事なので家族皆呆然とし、当然父と最後の言葉も交わせませんでした。

私たち兄弟は共に地元を離れており、身体が不自由な母は自宅で独り暮らしでした。

弟夫婦は先に帰郷し、私と母は買い出しの為に地元のデパートに行きました。

母がしばらく人で生活できるように生活用品を少し多めに購入しました。

たまたまガラポン抽選会を行っており、購入品も高額になった為抽選券を5枚も貰えました。

私が連続で引くことになり一度目はポケットティッシュ。。。

「どうせティッシュ5個だな」と思い2回目を引きました。

するとなんと2等(3000円商品券)が当たり、回りが少しざわめきました。

続いて3回目を引いてみました。

するとなんと1等!(5000円商品券)が当たりました。

なんだか人だかりがしてきたので立て続けに4回目を引きました。

恐いと思いながら立て続けの1等。

もう帰りたいと思いながら最後の5回目を引きました。

特等(10000円商品券)。。。

お客さん達も店員さん達も右往左往の大騒ぎになりました。

5回引いて特等1本、1等2本、2等1本と言うとんでもない強運日でした。

後から聞いていたのですが、そのガラポン抽選会は特等1本、1等3本、2等5本との事で
私が1度にその半分を引き当ててしまったのです。

後から考えてみたら「ガラポンのかき混ぜ方が悪かったんだろうな」なんて思いました。

父からは生前より小遣いなどは貰う事は有りませんでした。

父が母へ贈ってくれた最後の「支援」なのかなと思いました。

人生幸運、不運はイーブンと言われていますがそのような気がしました。

不幸ばかり起きていると思っている人は、きっとどこかで帳尻が合わせられます。

その人が死んだ後かもしれませんが。。。

贈ってくれた(と思っている)ものが現金ではなく「商品券」というのが
「母への必要資材を買え」と父の暗示のようでした。

41歳男、人生の1番のラッキーは宝くじ当選でした!

私は今、現在41歳の男性会社員なのですが、これまでに人生において1番ラッキーだったと思ったことは、やはり少し高額でしたが宝くじに当たったことです。

それまでも何度も宝くじを買ってはいたのですが全然当たったことがありませんでした。

ですので、当たった時には驚きと興奮でいっぱいになりました。

また、そのおかげで少しは身の回りの人達に孝行することも出来たのでした。

勿論、私自身も日頃には買えなかった装飾品や車、または美味しい物を食べることも出来ました。

基本的には私は宝くじを買うと言っても、それほど頻繁に買うわけでもなく、気が向いた時にだけ少し買っていたのです。

そして、当たった当所もいつも良く買う宝くじ売り場で少しだけ買っていました。

そして、私はいつも通りにとりあえずは夢を買ったつもりで当選日を迎えたのでした。

すると、まさかの結果に私は驚きのあまり一瞬気を失いそうになりました。

頭では理解しているのですが、何処か信じられなく興奮しすぎて恐らく頭に来たのだと思います。

しかし、現実に戻り当たったことを再度確認したところ、ようやく頭も心も整理でき落ち着きました。

まさに、これほど人生においてラッキーだったと思ったことはありませんでした。

勿論、これまでにもラッキーと思えることはありましたが、この時ほど強く感じたのはありませんでした。

先程もお話ししましたように、宝くじに関しては本当に楽してお金を儲けたいと言う夢を買ったつもりでしたので、まさかの展開に本当にラッキーだと思いました。

勿論、残念ながら後にも先にも私が宝くじに当たったのは、人生においてこれが最初で最後でした。

今、現在も以前と同様に少しだけを買っては楽しんでいますが、全然当たらず相変わらずの生活を送っています。

恐らく、私は人生においての運気をそこで全てを使ったような気がしているのであります。

しかしながら、一生忘れない思い出にはなりました。

本当にラッキーでした。

61歳の男性で26歳の転職活動が一発逆転のラッキーになりました

61歳になる男性で昨年定年退職し、引き続き再雇用で働いています。

今まで一番ラッキーだったことは、現在働いている会社に転職できたことです。

26歳のときに転職しましたが、その前は大学卒業後に就職した会社から出向させられていました。

入社して2年目に地方にある親会社の工場に勤務していましたが、待遇は良くなかったです。

親会社とあきらかに給料も異なり、仕事内容も雑用ばかりでした。

出向させられた原因は入社した会社の業績悪化にともなうリストラの一環でした。

まさか2年目にリストラする会社の経営状態を見抜けなかった自分の落ち度もあったかもしれません。

地方の工場で誰も知り合いがいないので孤独でしたが、親会社の雰囲気を知ることができたのはよかったです。

出向して3か月ほどたってから転職活動を開始しました。

当時は親会社の寮で生活していたので、電話は廊下にある電話でしました。

転職会社にお願いしていたので、相手からの電話を受けると活動がわかってしまうのでできませんでした。

あくまで一方通行のやりとりでいたので苦労しました。

当時は携帯もなく、ネットもない時代でした。

情報が少なく、半年経過しても面接を受ける段階さえ到達しませんでした。

転職会社が推薦する会社はベンチャーばかりなので、自分の希望する会社でなかったこともあります。

出向期間は1年と決まっていたので、再び入社した会社に戻ることになっていました。

さらに業績が悪化していたので、次の職場も決まっていない状態でした。

そこで当時一番行きたかった会社名を転職会社に伝え、面接までの段取りを強引にお願いしました。

転職活動はそれで最後にしようと決めていました。

希望した会社は一流企業でしたので、半分あきらめていました。

ところが1か月後に最初の面接が決まり、その後とんとん拍子で採用が決まりました。

転職会社の担当の方もまさか決まるとは思っていなかったようで、驚いていました。

最初に入社した会社はしばらくして倒産し、親会社にはブランド名だけかろうじて残っています。

会社の敷地もなくなり、跡形もないです。

30歳女 小3の時におよそ200万分の3の確率で懸賞企画に見事当選

30歳女性独身です。

私が人生で最も運気を使い果たしたと思ったことは、小学校3年生の時の懸賞です。

懸賞と言ってもTwitterやハガキで応募するような本格的な懸賞ではなく、ショッピングモールで子供向けにキャラクター商品が当たるキャンペーンを開催しておりそれに参加した際の出来事です。

私の家庭では、小さい頃から毎週末は家からかなり離れた場所にあるショッピングモールへ行くことが恒例となっていました。

当時小学3年生だった私も、いつものように両親に連れられ車でショッピングモールに出掛けたのでした。

そのショッピングモールは全国展開をしている大手のチェーン店舗で、食料品はもちろん衣類から文具・雑貨、玩具などあらゆる商品を取り扱っていました。

今思えば両親は元々大の買い物好きだったので、様々な商品を購入して楽しめる娯楽施設として毎週通い詰めていたのだと思います。

また私自身も玩具コーナーが比較的広く設けられていたので子供心をくすぐられたのでしょう。

早く週末が来ないかと毎日楽しみに待っていました。

そんなある日、玩具コーナーで某人気キャラクターの文具を母に買ってもらいました。

すると店員から、今なら商品購入者だけが参加できるプレゼントキャンペーンを開催していると言われました。

その企画は、耳に赤いリボンを付けた白い猫がメインキャラクターである超人気キャラクターブランドのキャラクター人気投票を行ない、人気No.1に投票した人の中から抽選で3名に限定缶バッジが贈られるというものでした。

ちなみにこの企画は全国の全店舗で開催されており、全店舗の中でたった3名しか当選しないという当選確率が驚異的に低いものでした。

正直それを聞いた私も小学生ながらに「そんな懸賞当たる訳がないだろう」と最初から諦めていました。

ただ、私には3つ上の姉がいるのですがその時に姉も母から文具を買ってもらっていたので、姉は当てる気満々でこの企画に応募すると言い出しました。

そこで半ば姉に強制される形で懸賞企画に応募することになったのです。

姉は当てる気満々ですから、人気投票の用紙には絶対的人気を誇る白い猫のキャラクター名を書きました。

そのキャラクターブランドを代表する世界的にも大人気な白い猫に投票すれば、たった3名とは言えども抽選枠に入ることが出来ると考えたのです。

しかし私は最初から諦めた状態で企画に参加していたので、単純に好きなキャラクターの名前を書きました。

お世辞にも大人気とは言えない、姉とは反対にそのブランドの中で地味な存在のキャラクターでした。

応募した後もどうせ当たらないだろうと諦めたままで、その後数日間は懸賞に応募したことすら忘れてしまいました。

すると応募締め切りから1週間ほどした頃、我が家に一本の電話が鳴りました。

私が電話に出ると、なんと電話の相手はあの企画に応募したショッピングモールの本社の方からでした。

「キャラクター人気投票企画にて厳正なる抽選を行なった結果、あなたが3名の中に選ばれました」と告げられ、一瞬固まりました。

ちなみに今現在そのショッピングモールは全国に計20,000店舗以上展開しています。

恐らく当時はもっと店舗数が少なかったとは思いますが、仮に1店舗で応募数が100名だったとしても、単純計算で約200万人の中の3人に選ばれたことになります。

それを考えるとあまりの強運に自分でも鳥肌が立ちました。

数日後、いつものショッピングモールに行って当選した旨を説明し当選商品を頂戴しました。

この企画のためだけに生産された缶バッジの20個セットで、私は大喜びしました。

その後成長してからは小さな懸賞ですら全く当たらなくなり、今でも人生で一番ラッキーだったのはあの缶バッジを賭けた懸賞企画の当選だと思っています。

当選したいが故に人気キャラの名前を書かず、子供らしく自分が好きなキャラを選んだことが逆に企画者である店員の心を打ったのかもしれないと思うと、深読みしすぎないで良かったと思います。

またこの経験から自分には強運があるのだと驕り過ぎて、その後ひたすら懸賞に応募した時期があったのですが結局1つも当選しませんでしたので、自分の運勢を驕り過ぎたことは悔やまれます。

応募の際はひたすら商品を褒めたり好感を持ってもらえるような綺麗事を書き続けたので、商品の改良などに生かせる正直な感想ではなかったのだと思います。

もっと正直な意見を書いていれば違ったのでは、と後悔しています。

懸賞が趣味という方がいましたら、あまり企画の意図を深読みし過ぎずに素直な意見を書いて応募することをお勧めします。

思い返せば、なぜ私が選んだ地味なキャラクターが人気投票で1位を獲得したのだろうと疑問ではありますが、恐らく超人気キャラに投票するという大人な考え方で投票した子供よりも純粋に好きなキャラを選んだ子供の方が圧倒的に多かったのかもしれません。

つまり懸賞において、当選したいからといって王道の道を選ぶことが必ずしも最善の策とは限らないということです。

もし意見を記述するタイプの懸賞でしたら、普通のコメントや褒めちぎった文章よりも現実的でやや辛辣な内容の方が企業にとっては貴重な意見になると思います。

何よりどんなことにも謙虚な姿勢でいることがラッキーを引き寄せるのかもしれません。

運気に頼り過ぎたり驕ってしまうと、運気はどんどん下がってしまい事実私はハズレ続きという苦い経験をしました。

懸賞ではあまり深読みし過ぎずに正直な意見を述べるのが一番企画者の胸を打つのかもしれないと、懸賞に張り切る全ての応募者の方へお伝えしたいです。

29歳男性は高校時代の友人との出会いから大切なことを学びました

 29歳の男性元プログラマーの人生で一番ラッキーだったと思う事は、ある友人に出会えたことです。

 その友人は高校時代に初めて会いました。

クラスメートという関係でもなく、ただの学部の違うけど隣のクラスというちょっと遠い関係でした。

 そのころの私は、プログラムの事も知らず、ちょっとパソコンしたいと思っただけでとある商業高校の商業科に通っていました。

 しかし、商業高校でも当然普通科があり、部活動があり、全校集会もありました。

 その全校集会で友人に初めて出会いました。

いや彼を認識したというのが正しいのかもしれません。

 
 正直初めて見た時は彼と私が交わる線もない。

言ってはいけないかもしれませんが、普通科の奴と関わるなんて事はほぼないと思っていました。

 普通科で一人だけ特別頭が良く、誰とも話すことはなく参考書を全校集会で開いて先生に注意されるようなちょっと勉強中毒な気がある人物でした。

 全校集会を終えて、私はやっと終わったという安堵の気持ちで、部活に向かう途中の出来事でした。

 参考書を全校集会で見ていたことで彼は先生に注意をされていました。

 しかし、その先生は部活動の先生で、私は先輩の命令で先生を呼びに行っていました。

 そして彼を間接的にではありますが助けたことで、不思議と彼と私は話し合う関係になり、少しずつ彼がどうしてそこまで勉強をしているかが疑問に思ってきました。

 話をしている限りでは彼は勉強は嫌いなよくある高校男子です。

私に話しを合わせた形には見えず、ただ真剣に勉強を行わないといけないナニカがある。

そう私は思ったのです。

 友人に問いかけました。

「どうして先生に目をつけられるのにそんな勉強するの?」
 彼は言いました。

「専門的な知識がないと今は厳しい世界だから、勉強は最低限文句言われない程度してるから、今はグラフィックや3Dデザインをできるようになれればいいかなーって思うんだ」
 このような形の事を言っていました。

ちょっと昔のことで、少し言い回しは違うかもしれませんが、このようなことを言っていました。

 正直そのころは勉強できるやつは違うなーと思いました。

 専門知識なんて専門学校に入ればよかったのにと思ったこともありました。

 でも私はその言葉を発することはせずに、取り繕うような言葉をかけていました。

「そうなんだ。できればいいね」

 私は今でこそ後悔することもあります。

 一緒に勉強していたら、もっと専門的な知識の大切さを知れたと思います。

 高校卒業して、就職した私はそれから専門的な知識の大切さを知って、今Photoshopを彼に習いながら、彼にはプログラムを教えています。

 いつか他の友人たちと一緒にゲームを作ってみようと笑い合える友人も彼が今有名なデザイナーになっているからでしょう。

 彼との出会いは私の人生を変える転機であったと思います。

 正直彼と会わなければ、私はプログラムに手を出すこともなかったでしょう。

 彼との出会いがあって、知識を真剣に身に着ける大切さを知りました。

 人生で一番『ラッキーだったと思うこと』は友人との気兼ねなく言い合える関係と専門的知識の大切さを知ったことで、親交のある彼との出会いであると胸を張って言えます。

 友人はかけがえのない財産であると私は思います。

28歳女 人生を変えるラッキーな転職

転職を2回経験している女性です。

女性の転職も珍しくありませんが、まったく違う業界で3社に勤めたとなると、色々な事を経験するものです。

その中で、3度目の会社に入社するきっかけは少し変わったものなのでお話したいと思います。

そもそも3社目を探そうと思ったのは28歳を過ぎた頃です。

転職前の会社は、とてもヒマな代わりに給料は低く、たとえ繁忙期で残業をしても、上司が「今日は残業代をつけておくね」と言った日にしか残業代は払われません。

何だか無性に虚しく思い、転職を決意しました。

転職仲介サービスを使って、働きながら転職先を探ましたが、なかなか上手くいかないと思っているうちに夏が来ました。

とある日、仲介サービスから1通の案内が来ました。

ある企業が人事総務の事務を探していて、応募者は指定された日時にSPIテスト+面接が行われる、と。

指定された日は平日の昼間。

全く縁のない業界、しかも総務をやったことがないため、受けても・・・と正直迷いましたが、夏季休暇を使い、行ってみました。

面接で人事課長と人事部長の二人には、正直に人事総務の経験が無いことを話しました。

その時の感触は可もなく不可もなくといったところで、隣の席の人と話しながら会社を出ましたが、その話していた人の方がよほど総務に向いているなぁと思い、少し気落ちしながら帰宅しました。

数日後、仲介サービスから電話がきました。

「総務ではないのですが、先方が来てくれないかと言っています」とのこと。

とはいえ、電話で話をしていても埒が明きませんので、再度、面接して頂くことにしました。

本部長一人との面接に驚きましたが、「自分の秘書が出来る人間が社内にいない」というのが本音で、人事を同席させなかった事に合点がゆきました。

それまで事務をこなしながら秘書業務もしてきたからこそ頂いた話ではありますが、これはきっとチャンスだと感じ、オファーを受け入れました。

それからの数年、秘書と財務を兼任することで、それまでとは全く違う世界、金融の話に耳を傾け、外国人に会い、会議や会食にも同席。

華やかな世界を垣間見ていたように思います。

楽しかったか、と問われれば、面白かったと答えることでしょう。

無知のまま飛び込みましたから、業界や金融について、語学もそうですが、必死に学びました。

それでも華やかな時代は終わります。

その後、また静かな世界に戻りました。

後悔はしていません。

あの努力も無駄ではなかったと思っています。

知らない世界に飛び込むには勇気がいります。

飛び込んだ後には努力するしかありません。

でも、努力はいずれ自分の力になります。

そのことに気づかされたこの転職は、ラッキーだったといえるでしょう。

21歳女大好きなアイドルのコンサートでファンサもらった

私が人生で一番ラッキーだったと思うことを紹介していきたいと思います。

それは、私が中学2年の時でした。

当時、ジャニーズの某グループのファンクラブに入っていたのですが、そのグループのコンサートに当たったのです。

このグループは今でも活躍しており、入手困難なチケットとして知られています。

初めてのコンサートに浮き足立ち、まだ実感を持たずにいました。

ですが、ラッキーだったのはここからです。

チケットの発券に行くと、まさかの席はアリーナ席。

アイドルと近距離で会えるではありませんか。

それだけでもう心臓が持たないわけですが、その時初めてのコンサートで、何を持っていけば良いのか全然わかっていませんでした。

ペンライトも持っていませんし、歌も覚えていっていません。

母と共に向かったのですが、せめて好きなアイドルの担当カラーを身につけようということで、黄色の帽子を被っていました。

そしてコンサート当日。

アリーナ席はもちろん素晴らしい席でした。

そしてラッキーなことが起こったのは、この直後でした。

アイドルが1人ずつトロッコに乗り、近くまで来てくれるのですが、そのアイドルが私を指差して手を振ってくれたのです。

その瞬間、息が止まるかと思いました。

肉眼で見える距離で、しかも指をさされたとなると、もう心臓が持ちません。

憧れだったアイドルと、1秒でも目が合ったとなると、もうこのまま死ぬのではないかと思うぐらい興奮したのを覚えています。

これ以上ラッキーなことはもう無いのではないかと考えています。

運を使い果たしたのではないかとも思います。

こんな幸運なことがあるなら、ペンライトを持ってこれば良かった、歌をちゃんと聞いてこれば良かったと、少し後悔しました。

大好きなアイドルのコンサートに行けて、しかもファンサまで貰ったのは初めてだったので、これが人生で一番ラッキーだったと思っています。

今でもその方のファンは続けており、これからの活躍も期待しています。

27歳、男性、女神舞い降りる

私は、フリーランスとして活動している、長崎県在住の者です。

私は今、人生で一番ラッキーだと思える出来事に直面しているので、そのことについてお話しさせていただきます。

以前は東京消防庁に勤務しており、東京都内に約8年間住んでいた経歴があります。

当時は、仕事に専念しつつも、友人や知り合いを増やそうと公の場に出ていました。

女性との関係も三度持ちましたが、いずれも成就しないまま、実家の長男として長崎県に帰ることになりました。

実家はかなり田舎で、若者も少ないので、私はもう結婚はおろか、彼女なんて一生できないのではないかと絶望していました。

そんな時に、ラッキーな出来事が起きたのです。

私は、スプラトゥーンというニンテンドースイッチのゲームが好きで、ツイッターで人を集めてやっていたのですが、その中の一人でとても仲の良い女の子がいました。

その子は横浜在住なのですが、半年以上一緒にスプラトゥーンで遊んでいる内に恋心が芽生え、実際に会ってみることにしたのです。

その後、福岡市内で待ち合わせをし、一緒に遊んでいる内にお互いの気持ちが深まり、その日の内に付き合うことになったのです。

彼女は、とても明るく、よく笑う子で、滅多なことで腹を立てず、僕と趣味の合う完璧な子です。

今彼女となったその子は、福岡県まで引っ越してきて、このまま結婚することになれば、いずれは僕の地元まで来てくれると言っています。

結婚を諦めていた僕にとっては、この上なくラッキーな出来事です。

 これをご覧になっている皆さんの中で、なかなか良い異性と巡り会えずに困っている方がいるとすれば、私は、ツイッターというコンテンツを強くオススメいたします。

現在、ツイッターを利用している若者が多く存在し、同じ趣味同士の仲間やグループを簡単に見つけることができるので、短時間で多くの人と知り合うことができます。

実際私のツイッターのフォロワーの中でも、ツイッターで知り合って、結婚している人が何人もいます。

是非、婚活の場としてツイッターを利用してみてはいかがでしょうか。

28歳女 たまたまトイレの最後尾に並んで映画出演

都会で一人暮らしをしていたときの経験です。

私は田舎育ちだったこともあり、都会でしか経験できない体験に興味を持っていました。

その一つがエキストラです。

もともとミーハーだったこともあり、友達から近くで映画のエキストラを募集していることを知り、急いで応募しました。

運よく当選して撮影現場へと向かったのですが、他のエキストラの人も多く、あまり人と関わることが苦手だったのでとても緊張しました。

やっぱり来なければよかったなと思っていたのですが、ある人が話しかけてくれその日は3人で行動することになりました。

撮影が始まる前に3人と一緒にトイレに行ったのですが、行列ができており運悪く最終尾に並ぶことになってしまいました。

これでは撮影に間に合わないと残念な気持ちで3人で戻りました。

案の定、その他のエキストラは既に定位置についており、私たちのスペースはありませんでした。

どうしようかとしていると、スタッフの方から声をかけられとある席に座らされました。

それがなんとメインの席だったのです。

演者の方が近くにおり、とてもドキドキしたのを覚えています。

それだけではなく、そのシーンはその演者に対して一般人が嫌悪を表すシーンだったので、私を合わせて6人ほどアップで撮影してもらえました。

とはいえ、どうせカットされるんだろうと思っていました。

特に必要ないシーンだと思っていたからです。

テレビでその映画が放送されると知り、何の気なしに見てみると、ばっちりそのシーンが流れていました。

そのシーンを見た家族から驚きの声が上がり、何かの作品に残ることが少し夢でもあったのでとてもいい経験ができたと思いました。

ただ、せっかくなら映画館でその映画を見ればよかったと思います。

とはいえ、あのときトイレの最後尾に並んでいなければこんな経験はできていなかったと思います。

あの日一緒に行動した人とは連絡先を交換しておらず、今何をしているか分かりません。

せっかく出会い、一緒になかなかできない体験をしたので連絡先を交換しておけばよかったと思います。

40歳 女性 念願の都会生活に思わぬ形で成就

40歳女性。

地方の山奥出身で、いつか数年でいいから、大都市で暮らしてみたいという憧れがずっとありました。

学生時代から付き合っていた相手と26歳で結婚し、主人の会社のあるのどかな地方へ引っ越し、8年ほどそこで暮らしました。

気候は穏やかですが、とにかく何もないところで、週末出かけるショッピングモールなんてなく、毎週高速を飛ばして出かけるような感じでした。

美味しいお店もないし、服を買うところもない。

自分はこんなところで一生暮らすのかと思うと、正直しんどいと思っていました。

主人は東京で就職し、本社採用で地方の工場配属であったので、場合によっては東京に転勤も可能でした。

なので、たまに「東京に転勤もできるの?」とか、「もう少し大きな都市に転勤とかないの?」などと言っていました。

主人は、「東京に転勤になるなら会社を辞める。東京なんか行きたくない」と言っていたので、憧れの都会暮らしは出来ないだろうなとあきらめていました。

主人は長男なので、ある程度したら、自分の実家がある県に転勤したいと言っており、希望が通ってこれまた別の地方に引っ越すことになりました。

もう実家のある県に引っ越したから、一生この地で暮らすことになるんだな。

引っ越す前のところよりはまだ店があるけど、服買うところはないな。

なんて思いながら生活が始まりました。

しかし、地方は前の地もそうでしたが、よそ者は所詮よそ者です。

田舎になればなるほど、考え方が固執されていて、よそ者は除外されます。

なので、職場でもストレスを感じることが多く、ああこんな場所から引っ越したい。

一生田舎で暮らすなんてまっぴらだと思っていました。

しかも、引っ越し先のアパートの住人が、私たち家族の足音がうるさいと苦情を言ってきて、こちらも小さい子供がいたので極力気を付けて1階に暮らしていたのですが、苦情を言う2階の住人にう・る・さ・い!と床を叩かれ、不動産屋に言いつけられ、怒鳴りこまれ、アパートにいることも辛くなっていました。

そんな時、なんと主人が地元の会社になじめず、休みがちになってしまったので、移動願いを出したところ
、たまたま東京に空きがあるから行くかと聞かれ、今まで東京なんて行くくらいなら辞めると言っていた人が、あっさり東京に行くことになりました。

まさか、東京に転勤できるなんて!もうそんなこと絶対ないと思っていたので、このストレス満載の生活から解放されると思ったら、人生何があるかわからない。

ある意味ここに引っ越してきてよかったと思ってしまいました。

都会に引っ越してきて、主人は今の部署があったらしく、元気に仕事に行っています。

私も、みんなよそから来た人たちの職場なので、地方の時のようなめんどくささがなく、仕事がしやすいです。

大都会に憧れ、引っ越して間もないころはいろいろと出かけました。

最近はそうでもないですが、
やはり地方の時と違って便利ですし、暮らしやすいです。

マンションも苦情を言われることもなく生活できていますし、今が一番精神的に穏やかに暮らせています。

私にとっての人生で一番ラッキーだったことは、思いがけない主人の東京転勤ですね。

一生都会にいるわけではないので、この地にいられる限り、コンサートやスポーツ観戦など、色々な場所に行きたいです。

筆記試験したことがありません

20代後半の女です。

私は一度も筆記試験をしたことがありません。

中学の時、部活するのが命だった私で勉強はあまりしたことがありません。

中体連が終わってから、受験勉強頑張らなきゃと親とも話していた時、高校推薦の話が出てきました。

もともと高校でも、今やっている部活をやろうとしていたので、チャンスじゃん!って思い、高校受験はせずに推薦で進学しました。

みんなが必死で受験勉強している中、推薦のみんなだけ勉強していないのはだめだと思い、学校にいるときだけでも、していました。

そのころ、高校の部活しにきませんか?ともお誘いがあり、冬休みは部活をしていました。

高校に進学し、高体連も終わり、今後の進学はどうしようかな~と悩んでいた時に、大学から部活の推薦がありました。

何の夢もなかった私だったので、大学進学は全額負担してくれたので大学でもやるか!と思い、高校卒業後は大学へ行きました。

地元を離れて、東京に進学したのでさみしかったです。

大学でもいいところまで行きました。

優勝に貢献できましたし、小学校・中学校・高校・大学での命かけた思い出は忘れません。

とても楽しかったですし、仲良かった子はプロに行った子もいます。

私もスカウトはありましたが、それで食べていく自信はなく、今度は本気じゃなくて、遊び感覚でやりたいなと思ってしまったのでお断りしました。

その代り、その大学では勉強して受験して免許がとれるのがあり、その免許をとって就職しようと思いました。

その試験は、実技と筆記。

まずは、実技をやって合格者は本当に少ない人数が合格でき、落ちた人たちは筆記試験をするものでした。

実技試験をし、合否がわかる当時。

見事、合格できました!そしていまは、その免許を活かした職場で働いていて、毎日忙しい日々を送っています。

筆記試験せすに、今の暮らしができるのも地裁時からやっていたスポーツのおかげです。

今も趣味で、そのスポーツはしています。

43歳女 間一髪で今でも生きています!

「もしあの時たった1秒でも遅れていたら…」
今でも思い出すたびに自分が今生きていることは本当にラッキーだったと思う出来事があります。

20代の頃、当時付き合っていた彼氏とドライブをしていた時のことです。

都内の片側3車線の道を走行中、私は車の助手席でカーラジオから流れる音楽を聴きながら外の景色を眺めていました。

ふと前を見ると100mくらい先でしょうか、ガソリン運搬車がガソリンスタンドに入ろうとしている姿が見えました。

かなり大型のタンクローリーのような車で、ちょうど片側3車線をふさぐような形でノロノロとスタンドに入ろうとしています。

私たちの車は比較的スピードが出ていたので、衝突したらイヤだな…と少し怖さを感じて横の運転席を見ると、なんと彼氏が居眠りをしているのです!!目の前に大型車が見えているはずなのにスピードを緩めないのはおかしいと思いましたが寝ていたのです!

ノロノロと道路をふさぎながらスタンドに入ろうとするガソリン運搬車の巨体がどんどん目の前に迫ってきています。

私は大声で「起きて!起きて!危ない!!」と叫びました。

彼氏はすぐに起きて目の前で起きている事態を認識しました。

おそらく必死でブレーキをかけたと思います。

それでもガソリン車との距離はもうほとんどありません。

すぐ目の前です。

間違いなく衝突します。

私は「あぁ…もうダメだ…。

あぁ…私の最期はこんなふうなんだ。

人生はけっこう短かった。


そんな思いが頭をよぎりました。

大型車との衝突で終わる私の人生最後の瞬間は、スローモーションのようにとてもゆっくりに感じられました。

死を覚悟して目の前のガソリン運搬車をしっかりと見つめました。

すると、なんとこれまでノロノロと道路をふさいでいたガソリン運搬車が、スルスルとスタンドに入っていったのです!
前方の視界が開けました。

ブレーキの遅れた私たちの車は、間一髪でガソリン運搬車のお尻を横目に通り過ぎることができたのです!

「生きてる…」
私たちは助かりました。

ものすごくラッキーでした。

ほんの1秒、いや0.1秒だったかもしれません。

僅かでもタイミングがずれていたら私たちは完全に終わっていました。

それだけではありません。

大量のガソリンを積んだあの大型車が炎上していたかと思うと…。

自分は本当に幸運に恵まれていました。

それにしても今でもあの瞬間を思い出すと背筋が寒くなります。

居眠り運転は絶対に、絶対にやめましょう!

34歳女 人生ずっと幸せになれるラッキー

30代の主婦です。

夫と子供2人の4人で毎日ドタバタ楽しく暮らしています。

私の人生で一番ラッキーだったと思うのはズバリ今の旦那と結婚出来たことです。

旦那とは同じ大学で3年生の頃から付き合っていました。

交際はとても順調で私も旦那も卒業後は結婚しようという思いでいました。

しかし付き合うにつれて旦那は極度に私が異性と付き合うことを嫌う人だということがわかってきました。

私は元彼との友人関係が続いて、だんだんそのことが心苦しくなり、4年生の半ばのある日そのままを旦那に話しました。

するとそれを聞いた旦那は信じられないと烈火のごとく激怒しました。

何度も誤り一旦は許しを得ましたがその2ヶ月後に別れを切り出されました。

お互い想いあっているのははっきりしていましたが、旦那の苦しそうな顔を見ると首肯くしかありませんでした。

こんなことになるなら言わなければよかったと心の底から後悔しました。

よくよく考えれば自分が楽になろうとした相手を傷つけるだけの行為でした。

その後は全くの音信不通になりました。

何度もメールで謝罪の文章を送っても返信は無く、電話も繋がりません。

大学で顔を合わすこともなくそのまま卒業を迎えました。

後悔を抱えながら社会人生活を送っていると、1年半後くらいに突然旦那から電話がかかってきました。

出ても無言なので、どうしたのかと聞くと、弱っていたから掛けてしまった、とのことでした。

そして少しずつ旦那もこの1年半私のことを考えてつつも許せない気持ちや、もう他のに好い人がいたらどうしようという気持ちで連絡出来なかったと話してくれました。

私は驚きと喜びで、そんな人はいないと伝えると、休日に会うことになりました。

2回ほど会ってご飯を食べましたが、淡々と友人と食べる感じでした。

私は拍子抜けえしたが、夫が変に感じてるよね、と言い出しまさかのプロポーズを浮けました。

あまりの衝撃で思考が止まりそうでしたが何とかはいと返事をして、今の幸せな毎日に至ります。

この幸せが続くように、もう自分が楽になるだけの身勝手な発言で誰かを傷つけることのないよう心に誓いました。

28歳女 日商簿記の合格難易度が低い年に受験して無事合格

私は在宅ワークをしながら暮らしている普通の20代女性です。

持っている資格といえば、普通自動車運転免許と日商簿記3級くらい。

ですが、この日商簿記3級の合格は人生で1番と言っていいくらいラッキーだったと思っています。

私がこの資格を取ったのは、約5~6年前のことです。

当時は就活中で、事務の仕事にもつけるようにしておきたかったことと、もともと経理関係の作業に興味があったことから受験することにしました。

本屋やネットのレビューを見ながら同じシリーズの参考書と問題集を購入してすぐに勉強を始めました。

勉強期間はたしか3ヶ月もなかったと思います。

新しい知識が増えていく喜びを感じながら、難しい問題に頭を抱えながら、受験勉強を進めていました。

そして受験日まであと半月を切った頃、私は原因不明の高熱を出してしまったんです。

病院で診てもらったら風邪でもインフルエンザでもなく、幸い数日で体調は回復したのですが、あと半月しかない中でこのタイムロスはかなりの痛手でした。

とはいえ受験申込みをしてしまっていますから、やるしかありません。

前日の夜遅くまで問題集を解き、当日もできるかぎり復習をしてドキドキしながら受験に挑みました。

勉強量は足りませんし、自信などありません。

教官からはじめの合図で問題用紙と解答用紙を捲り、解いていきます。

すると意外や意外。

それまでやってきた市販の問題集のパターンがそのまま出題されており、どんどんと問題を解き進めることができたのです。

事前に簿記3級の難易度を見てみたら「合格率は50~60%」という言葉も書かれていたのに、なんだか拍子抜け。

手ごたえどおり、無事合格することができました。

再び調べてみると、その回の試験問題は近年ではないくらい難易度が低いものだったそうです。

一生に1度しか受けないであろう試験でその易しい日にあたるなんて、なんと私はラッキーなんだろう!と誰でもなく感謝しました。

とはいえ解答には凡ミスもありましたので、今後資格試験を受けるときは期間に余裕をもって、勉強をしっかりできる環境づくりを心掛けたいと思います。

46歳女性 この子と親子になれたことが最大のラッキー

40代後半の女性です。

私には、30歳の時に出産した一人娘がいるのですが、この子との関係がとても良いことが、私にとって細大のラッキーだと思っています。

私には子供が一人しかいませんので、比較して違いを知ることはできません。

他のご家庭での、親子関係を知るすべもありません。

でも、おそらく我が家の親子関係は少々特殊のような気がしています。

娘と一緒に出かけたり旅行したりする時間は、とても楽しいです。

それに、何気ない会話や本気の話し合いであっても、お互い本音で話ができたり、ぶつかったり学んだりできるのもとても嬉しく思っています。

独身時代、私は一人で行動する方が気楽だったため、ほとんど単独行動していました。

もともと一人でいることが好きなので、結果的にこのようになっていたのですが、娘が大きくなった後は娘と一緒に旅行するのが何より楽しいです。

恐らく、仲が良い友人と一緒に旅をするよりも数段楽しく感じます。

初めて、誰かと一緒に旅をする喜びを知りました。

でも、決してべったりな関係ではないのです。

基本、両者とも自分の時間と空間を大切にしているので、あまり一緒にいることはありません。

それに、娘は今寮で生活していますので、めったに会うこともできませんし、話をすることもあまりありません。

でも、寂しいとは思いませんしそれほど心配もしていません。

きっと、何があっても何とか乗り越えていくんだろうなという安心感もあります。

もちろん、本当の意味で巣立ち自分の世界に羽ばたいていっても、私は喜んで彼女の背中を見送ることでしょう。

私にとって娘は、子供であり親友であり戦友です。

彼女も、私のことを信頼してくれていますし、厳しい指摘をしてくることもある。

でも、それは本当のお互いをリスペクトしているからのことです。

そこに、親だから上とか、子供だから下といった気持ちは全くありません。

面白くて仕方がない日々。

それは、良い娘を持つことができたからです。

24歳女性 迷子からの脱出

24歳 事務職の女性です。

人生で一番『ラッキーだったと思うこと』のエピソードについて書きたいと思います。

それは、高校2年生の夏休みに起きた出来事でした。

私は、友達3人と千葉の館山の方へ、キャンプをしにいくこととなりました。

昼間は別の友達とプールで遊び、一緒に夕飯を食べて、そのあと終電で館山まで向かうという今思うとなかなかのハードスケジュールですが、そんなこんなでキャンプ組の友達と駅で待ち合わせをして、さっそく特急の電車に乗り込みました。

そうしているうちに目的地に着いたのですが、深夜なのでバスは走っておらず、タクシーも見当たりませんでした。

とにかく歩いて行くかとうことになり、キャンプ用のでかいバッグを亀のように背負いながら私たちは歩き始めました。

それから、もう3時間ほどは歩いたでしょうか。

どこへ向かっているのかもわからず歩いていたので、ヘトヘトでした。

暑さと驚異的な湿気の中を、重たい荷物を抱えて、昼間はプールではしゃぎ散らかしていたので体力はもう限界でした。

歩いても歩いてもキャンプ場までつかないので、とうとう広い道路にへこたれこみました。

朝になったら、友人の親も合流する予定だったので、迎えにきてもらおうかと話していました。

すると一台の車が通りがかり、私たちの前で止まりました。

中には男性が1人、こんなところで座り込んでどうしたの?と声をかけてくれました。

普段であれば恐怖する対象ですが、その時は疲れ切っていて思考は3歳児なみに落ちていたので、わけを話すと、キャンプ場まで連れてってくれると言うのです。

お言葉に甘えて車に乗せてもらい、無事にキャンプ場までつくことができました。

どこのどなたか知りませんが、本当にありがたかったです。

まだ真っ暗な中、私たちは荷物をまくらかわりにして寝転び、星を見ていました。

次第にウトウトと夢の中へ…
目が覚めると、朝になりあたりは明るくなっていました。

真っ暗で昨晩は見えなかった海が視界いっぱいに広がっていました。

31歳男 人生初の彼女が出来たのが最高にラッキーだった

私の人生でラッキーだったな~と思うのは、人生初の彼女が出来た事ですね。

初彼女が出来たのは24歳と遅かっただけに、嬉しさも凄かったです。

まず私についてですが、自分の外見はそれなりに良いと思ってます。

小学生の頃は同級生女子から告白されたり、中学入学後すぐに同級生女子から告白され、その後年一回ペースぐらいで同級生女子から告白されるというのが続きましたから。

大学入学してからはバス亭前でバスを待ってると女性から声を掛けられたりもしました。

そんなに女性から声を掛けられるのに、何故彼女が出来ないの?と疑問に感じる方もいると思います。

でも彼女は出来なかったんです。

というのも私は女性を前にするとアガってしまい、まともに吃音が酷くなってしまうんです。

私は幼少期に母親を亡くし、祖父母に育てられました。

祖母は初孫である兄を可愛がり、私はあまり愛情を注がれませんでした。

4歳ぐらいの子供が、今日はご飯を作ってくれてありがとうございます、お布団を敷いてくれてありがとうございますとお礼をいってたわけです。

普通の4歳児なんて親の愛情を受けて我侭し放題でしょうし、このいびつな生活が私の心を蝕んでいきました。

小学二年生になった頃には吃音を発症。

幸い1年ぐらいで吃音は改善しましたが、それはストレスのかからない親しい間柄でのみでした。

先生等の教師、年上、見知らぬ人と話す場合はストレスがかかり、吃音を発症。

特にひどかったのが女性相手です。

兄弟に女性はいませんし、母親もいません。

祖母はいますけど、年寄り過ぎて女性って感じはしませんから(今でいうなら100歳相当の老け具合)。

女性慣れしてない私が女性と会話しようとすると強烈なストレスがかかり、まともに会話出来ないんです。

ですので同級生女子や街中で声を掛けられても、まともに返答することが出来ずにご破算。

外見は悪くない、しかも男性の友人相手には普通に話しをしてるので、女性からの第一印象は良い。

好きになって話しかけてみたら、吃音症でまともに喋れない変な人・・っていう感じで、女性からのアプローチは何度もあるものの、どれ一つゴールにはたどりつきませんでした。

異性との接触が多く、外見的魅力もある10代や20代前半ですら彼女は出来ないんです。

社会人となってからは新たな出会いって激減しますし、女性相手に話すのは相変わらず苦手(職場は中高年女性ばかりだったので大丈夫で)。

このまま女性と付き合う事なく老い、死んでいくんだろうなって覚悟してました。

そんな私に彼女が出来たんですから、本当にラッキーだったと思います。

幸いだったのは、その彼女が8歳年下だった事。

初めて知り合ったのは私19歳で、彼女は11歳で友人の妹でした。

年下過ぎて子供にしか感じず、彼女の前ではアガりませんでした。

対象年齢外だった事が幸いし、吃音症も出ず。

友人宅へ遊びに行ったら、友人と一緒に遊んでました。

彼女と私の二人きりでなく、友人という緩衝材があったのも良かったと思います。

いくら対象外とはいえ、女子相手に何を話していいかなんてわかりませんから。

こんな感じで普通に会話できたので、彼女にはアガリ症だとか吃音症持ちだとかバレずに済みました。

そのまま数年が経過し、彼女から告白を受けたというわけです。

友人には悪いと思いつつ、もし彼女からの告白を断ったら一生彼女が出来ないだろうな・・と思って彼女の告白を受けて交際しました。

おかげで女性を前にしても、たまに吃音を発症する程度にまで改善。

数年交際してから彼女にフラれましたが、女性慣れしていたおかげで他の女性と交際することが出来ました。

もし初彼女の存在がなかったら一生童貞だったかも・・と思うと、凄くラッキーだったなって思います。

29歳女 夫に出会えて人生が変わった

29歳主婦です。

人生で1番ラッキーだったことは夫と出会えたことです。

夫に出会う前と後では人生が全く違うものになりました。

夫に出会う以前の私は自分に自信がなくて、誰にも本音を言うことができませんでした。

大好きな自分の家族にすら心を閉ざしていた期間か長かったです。

小学校の頃から勉強も運動もみんなにはついていけないし、顔もみんなみたいに可愛くない。

そしてみんなからは”変だよ”と言われる。

普通にならなきゃ、みんなと一緒じゃなきゃ、その思いだけで生きてきました。

その当時は今みたいに”個性”といった言葉はそんなに使われていませんでした。

なのでみんなと同じようにしてないと先生からも怒られるのです。

勉強を頑張ったんじゃなくて、みんなと同じになれるように頑張っただけなのです。

夫に出会う以前の私が純粋に頑張ったものなんて何もないのかもしれません。

年頃になると恋愛関係もみんなと同じようにならないといけないと思い、彼氏をつくりました。

けれど全く好きじゃないのでうまくいきません。

みんなは何年も付き合って深い関係になってるのに、私は誰とも続かない。

この間違った思考が私を苦しめます。

夫に出会う以前の私は常に人と比べていました。

もう怒る先生はいないのにもかかわらず。

21歳のある日、夫に出会いました。

2回目に会った時には自分が本音を話していることに気がつきました。

そして夫は”変”だと言われ続けた私のことを”面白い”と言いました。

”そんなところが好き”だと。

私は驚きました。

こんな風に見てくれる人がいたんだと。

大袈裟かもしれませんが、生きてて良かったと思いました。

それからは不思議なことに私のことを”変”ではなく面白がってくれる人が増えました。

会話が楽しいと思えるようになりました。

家族共も昔よりずっと仲良くなることができました。

しかしそれは周りが変わったんではなくて、私の世の中の見え方が変わったのだと思います。

夫に出会えて本当にラッキーです。

45歳 男 大学受験で予備校の試験と同じ問題が出て、合格できました

高校時代ほとんど勉強せず遊んでばかりで、3年生から塾に通ったものの、時既に遅しで、現役での大学受験はすべて失敗に終わりました。

浪人が決定し、予備校に通うことになりました。

予備校にもクラス分けがありそのための試験がありました。

試験を終え、クラスも決定し1年間の予備校生活が始まりました。

私は私立文系が志望だったので、英語、国語、世界史の3科目受験です。

その中でもやはり英語の配点が最も高く、1番の苦手科目だったので、英語の勉強に1番力を注ぎました。

世界史はもともと少し得意でそのままの学力を維持できればよし、国語は現代文、古文とも勉強はしましたが、得点は安定しませんでした。

年が明けて2月に受験が始まりました。

全部で7つ受験しましたが、第1志望の大学が最初でした。

まずは英語からですが、これは1番力を入れて勉強してきたので、それなりに手ごたえを感じることができました。

次は国語です。

まず、現代文を解き終わって手ごたえをつかめないまま古文に移りました。

その時です。

ふと、「あれ?これどこかで見たことあるな」と思いました。

そう、実は予備校でクラス分けの試験を受けたときに出題された内容と全く同じで、しかも問題もほとんど同じだったのです。

「ラッキー!!」と心の中で叫びスラスラと解くことができました。

最後の世界史もまあまあ手ごたえを感じることができ、初日の試験は終わりました。

その2日後、第2志望の大学の試験がその大学ではなく、大阪の予備校で行われました。

「祈合格」と印刷されたシャーペンをもらい、午前中の試験を受けて気分転換にブラブラと館内を歩いてきたときに、2日前に受けた試験の解答速報がありました。

すぐに気づき、それを見てると英語は8割、世界史は7割ほど、そして古文が満点取れていることがわかりました。

当時は65%~70%程度が合格ラインだと言われていたので、この時点で合格していることを確信できたのです。

結果は、第1志望の大学には見事合格でき、滑り止めで受けた試験には不合格という結果に終わりました。

もちろん第1志望の大学のための対策を充分して受験したのですが、古文に関しては本当にラッキーだったと思います。

その時に予備校でもらったシャーペンは今でも大切に使っています。

56歳女高校受験不合格はむしろ娘には幸運でした

50代後半の女性です。

夫と20代の娘と暮らしています。

娘が中学3年生の冬、ある高校の公募推薦受験をしました。

推薦ということで、甘く考えていた私たち親子もうかつでした。

結果は不合格となりました。

その高校に入学するという進路しか描いていなかったため、これからどうしたらよいのか分かりません。

担任や進路指導の教師も、これから一般入試が始まるから、今から3日以内に受験校を決め願書を個人で受験校に提出してくださいとのことです。

他の学校の情報などまったく集めていませんでしたので、ネットで娘に合いそうな校風の学校を探します。

当の本人は泣きじゃくっているばかりです。

いろいろな候補の学校を1日で選び出してみました。

インターナショナルスクールまで問い合わせてみましたが、子供や保護者の英語力の問題や日本の大学進学を考えているならば、対応できないということをいわれます。

途方にくれました。

もう一度、数ある学校の大学進学先や指導要綱を細かく見ていくと、無名な学校でもかなり良い進学先の多いところがあります。

娘もそこに気が付き、真剣に学校選びに集中してきます。

ある宗教系の中高一貫校をみつけました。

10人ほどの補充という内容の募集ですが、今からでも願書の受付は間に合うのか、電話で問い合わせてみます。

今年はかなりの生徒が高校受験で外部に出たため、多くの生徒が欲しいというお話を伺いました。

しかも、願書受付締め切りは本日の午後5時までということです。

あわてて、中学の担任に願書を書いてもらうよう依頼します。

しかし、この高校を受験した実績はこれまでほとんどないということから、担任は願書作成を渋りました。

しかし、受験するのは娘ですから、不合格になろうと自己責任と考えていますと、きっぱりとした考えを話したので、大慌てで、願書を書いてくれ、きっちり糊付けした茶封筒を渡してくれました。

もう締め切りまで、あと3時間しかありません。

受験料を近くの金融機関で電信で入金し、娘と私で市郊外にあるその学校に急いで願書を提出に行きました。

翌々日、受験本番です。

朝早く最寄の駅まで、娘を車で送ります。

午後になって帰宅した娘は久しぶりに笑顔になっていました。

多少の手ごたえはあったようです。

もし、不合格となってもまた、親子で方法を考えればいいと変に前向きになっていました。

それから、数日後合格したという知らせを担任の方から聞かされました。

次の日我が家のポストをのぞくと合格通知が届いています。

それから、3年後、この学校のおかげで高レベルの有名私大へ入学することができました。

あのとき、最初の高校に不合格したことは、むしろラッキーだったのです。

不幸はチャンスに変えることができるのです。

31歳 苦手科目を受けなくてもいい入試方式が志望大学に存在した

私は大学受験をするときに非常にラッキーな状況に遭遇しました。

当時は18歳で、人生の中でも最も勉強をしていた時期ですが、私は私立文系の3科目(英語、国語、日本史)で受験をしようと思っていました。

ただ、どうしても国語が苦手で、明らかに足を引っ張っていたのです。

実際、国語の成績が受験にも影響しそうな状況で、一抹の不安を抱えながら入試を迎える可能性がありました。

しかし、志望大学を決めて、詳細を調べている段階であることに気付いたのです。

志望大学を決めた後、実際に受験する大学の入試科目を調べていたら、自分が第1志望にしていた大学では国語を受けなくてもいい入試方式が存在していたのです。

通常の3科目の入試方式に加えて、英語と社会または数学で受けられる入試方式があり、これは自分向きだと確信しました。

苦手科目を受ける必要がなく、割と得意な科目のみで勝負できる状態だったので、これは本当に運がよかったと思うのです。

実際、その大学のその入試科目の方式で受けたところは合格することができ、結果的に志望大学に入学ができました。

そして、この英語と社会または数学という入試方式は、私が受験した数年後に改変され、今は英語と数学のみとなっているので、当時は良かったものの、今であれば私は受験ができませんでした。

そういう意味では、受験の時期のタイミングもばっちりでしたし、そういった部分も含めてラッキーだったと言えると思うのです。

自分向けの入試方式があって、本当に嬉しかったですし、受験は一生に一度というケースが多いので、本当に恵まれた状態だったなと思いました。

しかし、こういうケースはそうあるものではありませんから、やはり私立文系であれば3科目をきっちりとバランスよく勉強して、苦手科目をなくしていくということがおすすめです。

そういう人の方が安定して受験で結果を残せると思いますし、やっぱり3科目必要になるケースがほとんどだと思いますから。

60歳女性 運命は決まっているものなのでしょうか

当時、33才女性。

離婚直後2名の小学生女児を
養育しながら、職探しをしており
4月初旬に職業安定所で、1社目で目に付いた
大手ゼネコンの一次下請けの
経理事務員に応募。

翌日、面接に向かい
即決で入社が決まりました。

勤務先は、自転車で15分程度の場所。

事務所には、社長、男性社員〝番頭役〝
経理及び全ての職務に従事していた
女性事務の方3名。

給与も、平均月収で賞与も
勤務一年後から業績により支給と云うものでした。

給与にも、納得し何より安定した職に就く事で
前途の不安も少なからず有りましたが
生活をする上で、一先ず安堵いたしました。

9時~5時で一切残業なく
子供の参観などは休憩時間を繰り下げ
融通を聞いて下さいました。

そして、勤務4ヶ月目の夏季賞与は、
総支給学の1ヶ月分を
支給頂きました。

勤務中には、ほぼ毎日近隣の喫茶店から
出前を取ってくださり
ランチタイムには、タクシーで都心
ホテルなどでコース料理にも
社長からお誘いを受けました。

これだけでも、申し分なく有難い気持ちでいっぱいでした。

そして、母子家庭でもあるので
今後、免許など取得しているのも
良いと、親会社のゼネコンが主催や
推進する講習会、研修会に参加もさせて頂き
取得も出来た次第です。

入社して8ヶ月が経った冬季賞与は
100万円に手が届く額を支給頂き
縁あって就職した会社で
このような良好な勤務先、好条件
社長のお人柄、心情に厚い思いに
感謝しつつ
就業できることに
とても有り難く、最高にラッキーでした。

しかし、勤務1年が目の前に差しかかろうとした頃
私の不注意から歩行中足を骨折、
手術~入院~リハビリなど
会社復帰が定まらない状況に
1人の事務事務員の方に
過大なる迷惑と私の仕事も含め
一挙担うことに申し訳なく
退職の意思を伝えました。

そんな折、私に退院してからの生活を
心配頂き、引き止めても下さった社長でしたが
退職を嘆願致しました。

そして、2社の医療保険に加入させて頂いていたので
毎月給与を上回る保険給付を頂きました。

何から何まで手厚いフォローに
只々申し訳なく
短期間の勤務では有りましたが
最大に心に残る会社及び社長様でした。

後悔は、怪我さえなければと思いますが
これも人生の 分岐点であったと
思うようにしています。

人生は、いつどんな状況で幸運が
舞い込むかしれません。

嫌な事や我慢できない事があるのも
人生かと思います。

40代女 独居の実母がいつの間にか、素敵なご近所に恵まれていた話

私は40代で、週に3日のパートと、週に3日の実家通いの日々です。

実家は、私の家から車で1時間ちょっとのところにあり、田舎です。

日常の買い物ができる町までは、徒歩で20分ほどかかります。

そんな場所で、軽い認知症で、物忘れ、判断力の低下の症状が出てきて去年、運転免許証を返納した母親が独居生活を送っています。

母の生活の介助に通いだして、3年になる頃のお話です。

実家に行くと近所で子猫の鳴き声が聞こえるようになり、そんなある日、実家の庭で子猫が鳴いてるのが聞こえて、庭に出て猫を探していると、お向かいの家のAさんが声を掛けて下さいました。

『この子達、もう1ヶ月近くこの辺りにいるんですよ』と。

それから、母猫と3匹の子猫の家族であること、近所で何件かのお宅がごはんをあげていること、母猫が懸命に育児をしている様子。

そして、Aさんのお隣、実家からは、はす向かいのBさんのお宅でも、夫妻で猫たちの行く末を案じている事を教えて下さいました。

実家に行く度に、Aさんと猫話をするうちに、猫たちを保護しましょうということになりました。

拠点を実家の空いている部屋に、猫の捕獲と里親募集のチラシ作りはBさんの旦那さん、私がいない日の猫たちの世話をAさんBさん、皆で里親探し。

Aさん、Bさん夫妻は、猫の世話に実家に訪れる度に、私の母のことも気にかけて下さいました。

母が同じ事を何度も言ったりしても、猫部屋から猫を出してしまっても、それはそれは辛抱強く、優しく母に接して下さいました。

また、猫部屋で、いろいろな話をして盛り上がったりして、思い出深い時間を沢山持ちてました。

猫たちは、4ヶ月半ほどで母猫と長女猫が、6か月ちょっとで、妹たちが、2匹ずつで、それぞれ良い里親さんに恵まれて行きました。

やっと落ち着けたあの子達を思っての幸せと。

猫たちと私たちの時間が終わってしまって、何とも寂しい気持ちとでありましたが、私が実家から出て行って、しばらく寄り付かなかった間に、なんて良い人たちがここで暮らしてくれてるのかと思う度に、まだ感動するのです。

この奇跡のようなご近所様達とは、今でも、実家でお茶をします。

大変な幸運です。

29歳男 たまたま応募した抽選に大当たり!PS2をゲットしました!

 おはようございます。

僕は29歳の男性です。

職業としては現在、自営業(フリーランス)をしております。

 そんな僕は昔からテレビゲームが大好きでした。

今日書かせて頂く内容は、僕は小学5年生の時に発売されたプレイステーション2の抽選に大当たりしたエピソードです。

 初代のプレイステーションで楽しんでいた僕は、プレイステーション2発売に向けて、親に貰った小遣い等を貯めながら発売を「今か今か」と待っておりました。

 ところが発売日当日には、「完売」との文字があちらこちらで見られました。

お金はあったのですが、買えませんでした。

 その帰り足にイトーヨーカドーに寄りました。

サービスカウンターで「プレイステーション2の抽選」が開催されておりました。

 サービスカウンターのお姉さんに、「僕^^プレイステーション2の抽選やってみる?当たれば10%OFFで手に入れる事ができるわよ」と言われました。

 僕は一か八かに掛けてみる事にしました。

きちんと名前等の個人情報を書いて抽選に応募しました。

 お姉さんから「1週間後に抽選結果を連絡しますね^^」と言われました。

 しかしながら、1週間後の結果は「抽選に当選しませんでした」と言われてしまいました。

ここでも僕はテンションが下がってしまいました。

 ところがその4時間後に家に電話が掛かってきました。

先ほどのお姉さんからでした。

 「〇〇さん^^良かったね!1台キャンセルが出たわよ!どうかしら?購入しますか?」と言われました。

 僕は即決で「お願いします!今から買いに行きます!」という事で、すぐにイトーヨーカドーのサービスカウンターへ出向きました。

 そして、36,000円を払い、念願の「プレイステーション2」を手に入れる事ができたのです。

 この時の心情としては、「諦めなければ道は開ける!」と子供ながらに思いました。

 後悔していることはありませんが、よかったと思う事は、キャンセルが出てくれた事で、購入できたので本当にありがたかったです。

 アドバイスとしては、人間欲しいものには、「一か八か」掛けてみる事も大切だと思います。

31歳男 初のAKB劇場でトップ入場

私は特にアイドルファンというわけではないのですが、一度AKBの劇場公演は観てみたいなと思っていました。

急遽無料会員登録をして、丁度募集をしていた公演に応募。

しかし、応募倍率が数十倍で、本気のファンはアカウントを複数作って応募していると聞き「まあ当たるわけないな」と諦めモード。

案の定落選しましたが、ログインしたついでにもう一度申し込んでみました。

すると何と当選!
後から知ったのですが、当選したのは特別な公演で、さらに応募倍率が高いレア公演でした。

くじ運の悪い私からしたらありえないラッキーさに驚きつつ、数日後に初めて秋葉原の劇場へ向かいました。

座席に関しては当日の抽選によって入場順を決めるということは調べて知っており、狭いロビーで200人以上のファンと満員電車のようになって待っていると、いよいよ抽選の始まり。

チケットに書いてある番号順に10人づつのグループに分かれ、ビンゴ抽選で呼ばれた順に入場するのですが
いきなり「11番から20番の方~」
私は11番。

一瞬時が止まりましたが、スタッフに促され前に進みました。

ふと並んでいる他のファンを見ると、ほとんどの人がサイリウムやメンバーのうちわ、タオルを持っています。

そんな中、手ぶらの私が先頭で入場。

みんなの視線が痛かったです。

金属探知機を通り劇場内へ入ると、とりあえず一番前のど真ん中の席を選んで座りました。

はじめて劇場内に入って思ったことは、ステージが近い。

メンバーが登場してからはなおさら近く感じ、手を伸ばせば届きそうなほどです。

大勢のファンが何やらコールというものをしていますが、詳しくない私は参加できず(こういうファンを地蔵と言うらしい)。

両サイドの席のファンは比較的おとなしい人で、私一人が悪目立ちすることはなかったのが幸いでした。

2回目の応募で当選し、一番先に入場するというミラクルは、宝くじで1000円すら当たったことのない私からしたら運を使い果たすレベルの出来事でした。

40代、女性 旅行券プレゼントが当たったこと

40代の専業主婦です。

今は子育て中ののため、毎日バタバタ過ごしています。

ラッキーだったことは、某プレゼントに応募したものが当たったことです。

どんなにプレゼントに応募しても、当たらなかったのですかその時は、たまたま偶然に当たりました。

本当に嬉しかったです。

しかも当たったのは、宿泊券でした。

なかなか旅行券なんてものが当たることはないし、こんなにいいのが当たるのは初めてのことでした。

当たりの通知が来たときは、声を出してしまいました。

やったー、よし。

と思いました。

それから、よくよく読むととりあえず旅行のホテルに予約をいれないといけなかったり、やたらと予約日の制限があったりとかなり思っていたものとは違いました。

確かに、自分ではなかなか取らないようなホテルの宿泊券が当たったことは本当に嬉しかったのですが、いろいろと制限がありすぎるのでかなり予約を取るだけでも疲れてしまいました。

一応予約もとれて、旅行を楽しみにしていると後から思っていなかったことがありました。

部屋数がどうしてもとれないようで、でも行ける日は、その日しかなかったので、結局自分の知り合いに行ける人がいないか、聞いてみることに。

でも、周りに聞いても急なこともあり誰も行くことが出来ませんでした。

せっかく当たった旅行券でしたが、使うことが出来ませんでした。

いろいろと電話したり、日にちを決めたりしたのに、結局ダメになり何だったのかと呆然としたのを覚えています。

後悔したと言うか、もしもプレゼント応募があっても絶対に旅行券などは応募しないと心に決めました。

かなりの労力を使ったのに、本当に精神的に疲れただけでした。

当たった時は本当に嬉しくて、やったと思いましたが、最後は何だか微妙な気持ちになりました。

初めての当選は、微妙な感じに終わりましたが、自分はくじ運が悪いと思っていたので当たるんだと言うことが分かったのでそれはラッキーだったのかなと思うようしました。

32歳女 偶然出会っただけなのに、結婚することができた話

今年で結婚して3年目を迎える30代の主婦です。

私が今までの人生の中でラッキーだったなと思うことは、主人と出会えたことなのではないかと思っています。

主人と出会ったきっかけは同じ職場で働いていたことです。

お互いに出身地も全然違う場所なのに、たまたま同じ職場で働いていたことから知り合い付き合うことができました。

夫は関西、私は関東圏よりの生まれで、育った環境もまるで違うので、本当にどうやって巡り会えたのかと不思議に感じることがあります。

しかも、私は個人的な事情により、会社を退社することになってしまいました。

折角知り合った主人には、退職する際連絡先を交換しただけで、全くの片思いでした。

だから、当時は彼と付き合えるなんて思ってもいませんでした。

でも、退職してから、何度か連絡をして、趣味が同じであることや、好きなもの・嫌いなものが分かるようになってきました。

友達のような関係になってから、私から告白をしましたが、この時は一度断られてしまいました。

それでも、なぜか私たちの関係は続いて、告白してから半年後くらいに、付き合ってほしいと告白されました。

それから付き合うようになりましたが、その後5年以上恋人関係が続くとは思っていませんでした。

当時は20代前半で、周りもまだ結婚している人が少なかったので結婚願望は強くありませんでした。

でも、1年、2年と続く中で結婚したいなという気持ちが強くなっていきました。

5年以上経過してようやくプロポーズをしてくれ、今の生活になりますが、今思えば同じ会社で働いていたとはいえ、長い期間ではありませんでした。

そして、育った環境も生まれも全然違います。

元々は私の片思いで、一度は振られてもいます。

それなのに、こうして今一緒に暮らしていることは本当に奇跡なのではないかなと思ってしまいます。

私は男の人と一緒にいてこんなに落ち着けるなんて思いませんでした。

心穏やかに過ごすことができ、また自分の気持ちをきちんと受け止めてくれる人と出会えたことに感謝したいです。

33歳男 希望大学に落第し違う大学へ進学したら学費が凄く安くなった

 33歳男です。

今回は、私が私の住む県の国立大学を受験したのですが、残念ながら不合格だったので、仕方なく、私の住む実家から10分くらいで行ける私立大学を受験したら、選抜試験で運良く良い成績を取れて、学費が半額になったので、国立大学より安い学費で卒業出来て、なおかつ、私の住む実家から10分くらいで行ける私立大学なので、一人暮らしをせずに済んだので、もし私が私の住む県の国立大学に合格していたらかかったであろう家賃4年分と生活費4年分を払わなくて済んだので、大学の卒業資格を取るのに、たくさんのお金を節約できたことについて書きます。

 経緯は、私の実家はあまり裕福でないので、大学へ進学するならば、学費の安い国立大学を受験するよう、両親に言われたので、私は私の住む県の国立大学を受験しました。

その国立大学を受験したきっかけは、別に、その大学で学びたいことがあるというわけではなく、国立大学の中でも偏差値の低い方であり、なおかつ、私の実家のある県の国立大学なので、もし合格したら一人暮らし先のアパートから、気軽に安い交通費で、実家に帰れると思ったからです。

時期は、14年前です。

 国立大学受験に失敗して、私の住む実家から10分くらいで行ける私立大学を受験し選抜試験で運良く良い成績を取り学費が半額になって、かつ、私の住む実家から電車で10分くらいで行ける私立大学なので一人暮らしをせずに済んで、お金をたくさん節約できた時の心情は、人間は失敗しても諦めないで前向きに取り組めば、その失敗したことよりも、大きな成功を得られることがあるのだなということを思いました。

 その私立大学に行って、私が選んだ学科は、私の興味にぴったりと合う学科だったので、進んで熱心に勉強できたので、そのときの経験は、今の私の生活にとても役立っています。

もし、私の昔の希望大学の国立大学に行っていたら、その学科は無かったので、あのように熱心に勉強が出来なかったと思うので、受験に失敗して良かったと思いました。

 もし希望の大学への受験が失敗しても、諦めないで前向きに取り組めば、その失敗したことよりも、大きな成功を得られることもあると思うので、あまり深刻に考えすぎない方が良いと思います。

47歳男 祖母から相続した市営団地が良い物件でラッキーでした

私は47歳の男性で、市営団地に住んでいます。

元々は市営団地で暮らしてはいなかったのですが、市営団地住みの祖母がキッカケで暮らすようになりました。

祖母は以前築40年ぐらいの古い市営団地に住んでいたのですが、新築した市営団地に移転する事となりました。

移転先は10階建てのエレベーターのある市営団地で、パっと見は市営団地というよりマンションにしか見えない程のキレイさでした。

祖母は90歳オーバーという年齢だったので2階を、しかも角部屋をもらえました。

ただ祖母はそこで暮らしたのは半年未満でした。

というのも以前から応募していた老人ホームに当選したので、そちらへ住む事となりました。

祖母はそちらで死ぬまで暮らすつもりだったので、市営団地が空いてきます。

そこで私に暮らさないかと話が持ち上がりました。

両親は実家があるので市営団地に住む必要はない。

叔父も同様です。

その点私は当時賃貸マンションで暮らしてましたし場所も同市内在住なので、私がこちらへ引っ越しても生活環境に困ることはありません。

というか私の住んでる場所より祖母の住んでる市営団地の方がはるかに立地は良い(人口40万人以上の県庁所在地で市役所・県庁まで1km程度の距離)ので、特する事ばかりでした。

このようにして祖母名義の市営団地で私は暮らすようになりました。

まあこれがラッキーだったんですよね。

というのも市営団地は祖母名義なので、家賃は祖母を対象にして決められます。

結果家賃は1800円で、一年分纏めて支払っても2万円程度です。

駐車場代は500円なので、年払いしても6000円。

ただ市営団地内の街灯やエレベーターの電気代等は市営団地住民の頭割り負担となって水道代に上乗せされる為、水道代は若干あがりましたけどね。

でもこの家賃・駐車場代で間取り2LDKの新築状態の市営団地に入れました。

しかも2Fで角部屋という好立地。

ゴミ収集所はしっかりロックされているので、猫・カラス等の侵入を防いでいます。

ですのでゴミ出しの前日に出してもトラブルはなく、前日出しもOK。

以前住んでいたのは郊外で家賃5万のLDKマンション、駐車場代も5000円でしたから、祖母名義の市営団地に引っ越せたのはラッキーだったな~と感じます。

40代女 宝くじは買ってみて初めて期待することができる

40代、女性で自由業で在宅ワークをしています。

私が20代半ばに差し掛かったころのお話ですが、そのときは正社員として事務のお仕事をしていました。

毎日、朝早く起きて満員電車に揺られて、会社に着いた後は制服を着用して、同じことをひたすら繰り返している内に1日が終わります。

残業することもなく毎日定時に帰宅していました。

代わり映えのしない毎日でしたが、正社員として働けること自体はありがたいと思っていました。

そのときは趣味も特になかったので、給料は減ることなく貯金に回されていきました。

何か投資できるものがほしいと思いながら、いつものように定時で仕事を終えて帰宅することにしたのです。

そしたら帰り道にふと何か呼ばれたような気がして視線を上げると、宝くじ売り場を発見しました。

その宝くじ売り場はいつも自分が通っている道にあるのは分かっていましたが、視界には入っていなかったのです。

呼ばれるままに何となくバラで10枚買ってみました。

どうして買ったのか、なぜ買おうと思ったのか自分にはうまく説明ができなかったのです。

特に気にすることなく当選番号が発表される日を楽しみに待つことにしました。

今まで宝くじ関連に一切手を出したことがなかったので、何か当たるという気持ちが少しだけ毎日を楽しく感じさせてくれたことを覚えています。

当選番号が発表される当日に番号をチェックしてみたら、何と5万円が当たっていました。

5万円なんて大した金額ではないかもしれません。

でも自分にとって何か呼ばれたということは、こういうことなのだと思って嬉しく感じました。

それから宝くじが気になってしまい、次回もバラを10枚買ってみました。

さすがに当たらないだろうと思いながらも、わずかに期待してしまう自分もいて、当選番号が発表されるまでが、また楽しみになってきたのです。

結果は3000円が当たりました。

宝くじは連番でもバラでも300円は当たるようにできています。

今回も連続でプラスになることができたのです。

幸せな気持ちになりましたが、さすがに3回目を買う度胸はありませんでした。

あのとき3回目を買っていたらどうなっていたのかと時々後悔することがあります。

「もし100万円が当たったら」と妄想する方は多いかもしれません。

まずは買ってみないと当たりません。

外れることの方が多いかもしれませんが、当選番号を待つまでの期間は少しだけ日常が楽しみになります。

試しに買ってみてはいかがでしょうか。

35歳 男性 今の妻と出会った話

こんにちは。

人生はラッキーの塊だという事を皆さんはご存知でしょうか?
僕は今まで沢山のラッキーな体験をしてきましたが、今回ご紹介するのは
僕がまだ20代の頃今の妻と出会ったこの世で最高のラッキー体験をお話いたします。

【仕事で多忙な毎日を過ごしていた】
僕は当時20代後半。

そろそろ結婚したいなとも考えていた年でした。

毎日とにかく膨大な仕事をこなす毎日でプライベートの事など考える余裕もない毎日を過ごしていました。

僕は毎日お昼ご飯はコンビニ弁当で過ごして、あとは缶コーヒーでも飲みながら一服。

というごく普通のサラリーマンのような生活を毎日送っていました。

仕事が多忙なのですからもちろん女性との出会いも無く、もっぱら仕事の同僚か、上司との会話ばかりでした。

【たまたま一緒になった場所】
ある時、たまたまコンビニの弁当が全くないという日があり、僕はしょうがなく普段行かない社員食堂に
行ったのです。

社員食堂は以前からあったのですがどうも僕の口には合わず敬遠していました。

そこで他の部署で働いていた妻と偶然出会いました。

しかもその日は「相席にならなければいけないほどの込み具合」でした。

仕事の話をしてその日は分かれましたが、一週間後にまた出会い、そして
事あるごとに妻になる女性と出会いを繰り返していました。

【結婚へ】
その後、僕達は連絡先を交換し合うような仲になり、色々な場所へ遊びに行きました。

交際から約2年で僕達は無事入籍することが出来ました。

結婚できるきっかけを得たのも全てはあの「ラッキーな一日」があったからです。

確かにあのコンビニで昼食が変えなかった時に別の選択肢もあったかもしれません。

しかし、僕はなぜか社員食堂へ行くという選択をしました。

ラッキーな部分と、自分でのひらめきと両方があったのかもしれません。

双方を含めて僕にはラッキーな事だったのかもしれませんね。

【まとめ】
人生にはこういった「ラッキー」が無数に転がっているのだと思っています。

毎日を楽しんで過ごしているうちに沢山のラッキーに出会っているのかも
しれませんね。

顔面が赤点級! それでも人生初の逆ナンを体験!

こんにちは、papa-man です。

人は2種類しかいない。

幸せな人か不幸せな人かだ!!

なんてことをもしホストのローランドさんに言われたとしたら、僕は間違いなく不幸せな人だと自任してしまうほど僕は不幸せな人間です。

その分幸せになりたいという渇望は強いんですが、世の中上手くはいかないもんです。

そんな僕の人生でもラッキーだと思えることはありました。

今はやらないんですが、僕は以前パチンコをけっこうやっていたんです。

僕が住んでいるのは田舎ですから遊ぶところもないし、その割にパチ屋は多いしってことで、そこそこの頻度でパチ屋に行っていました。

とある地元のパチ屋でのできごとです。

僕はその日そこそこ出玉が出て、勝つことができました。

パチンコは出玉を出すと、店員さんと一緒に玉を流すことになるのですが、その時僕の人生の中でもっともラッキーなできごとが発生しました。

パチンコ台の上にある店員さんを呼び出すボタンを押して、僕はパチンコ台前の椅子で店員さんが来るのを待っていました。

2、3分後来たのは、ちょっとギャルっぽいけどめちゃくちゃかわいい女の子でした。

たぶん21、22歳くらいだったはずです。

非モテ男子の僕は、モロ好みの女の子を目にして手汗が噴出しました。

それでも僕は全然気になっていないフリをして、その女の子と一緒に玉を流すところに行きました。

かわいい店員さんも特に僕に気に掛けるわけでもなく、普通に仕事をしていました。

(僕に気を掛ける必要なんて一切ないんですが笑)
パチ屋っていうのは、みなさんもご存知かもしれませんが、めちゃくちゃうるさいんです。

だから多くの店員は玉を全部流し終えた後、耳元で出玉の書いてある紙かカードを差し出して「よろしいですか」みたいなことを言うんです。

かわいい店員さんも僕の出玉をすべて流した後に出玉の書いてある紙を持って僕に近寄ってきました。

女性が近づく状況が僕には多くないのでそれだけで緊張していました。

正直僕は可愛すぎたので少し身構えていたのです。

そうすると、かわいい店員さんは僕に言いました。

「今度いっしょにご飯いきませんか?」
…………僕は、あまりにも驚き沈黙………
自分で言い聞かせました。

僕よ、冷静になれ。

冷静になれ。

彼女はなんて言った? しょくじ、しょく事、食事!
これは、これは逆ナンではないか。

人生初の!
ちなみに恥ずかしながら僕はかなりよく採点しても僕の顔面は赤点です。

にもかかわらず、僕に逆ナン!
人生でもっとも幸せな瞬間でした。

そのあと彼女の休憩時間を待って、ラインを交換しました。

今の僕のとなりには、その時の彼女は…いません。

やはり顔面が赤点では良くなかったのかもしれません。

でもこれが赤点顔面の僕にとって人生最高のラッキーであることには間違いありません。

40歳、女性、ラッキーな選択をしました

私は離島に住んでいます。

移住してきて一年ほどした頃のことです。

Aの仕事について約半年した頃、そのままその仕事を続けるか、Bの仕事に転職するか迷ったことがあります。

Bの仕事は冬シーズンだけの仕事で、比較的自由に出勤日を決められるので集中して稼ぐことができました。

Aの仕事はそれよりも少しだけ時給が高いけれども月の勤務時間の上限が決まっているので、収入自体は減ってしまいます。

だけど、保険完備のしっかりした仕事です。

都会じゃ当たり前ですが離島では保険完備の仕事なんて滅多にないです。

元々はBの仕事をしていましたが、シーズンが終わったのでAの仕事に移ったけども冬になればまたBの仕事に戻るつもりで、Aの職場にも最初からその予定で認めてもらっていました。

ですが、色々と悩みに悩んだ結果、Bの仕事に戻らずにAの仕事を続けることにしました。

決め手はやはり保険完備であることが大きかったです。

有給もあります。

離島で独り身で暮らしていくためには、多少手取り金額が減ってしまったとしてもちゃんとした職場の方がいいと思ったのです。

あと、Bの仕事は外で働くことも多くて、私は寒がりだし若くないし、これからずっと続けるのは正直辛いなぁというのも大きかったです。

仕事自体はとても好きでやりがいもあったのですが……。

これだけ悩みに悩んで決めたことが、後々大きな違いを生むことになりました。

と言うのも、ずっと独身かと思っていたのですが、突然の結婚と妊娠という自分でもびっくりの出来事がやってきたからです。

保険完備のAの仕事を続けていたおかげで産休も育休も取れて給付金ももらえたからです!もしもBの仕事に戻っていたら、何もかももらえずじまいになるところでした。

それに寒い屋外での仕事でお腹の赤ちゃんに悪影響が出ていた恐れもありました。

たまたまですが、何もかもいい方にいい方に来ていて、この子はラッキーベイビーだねと夫といつも話しています。

27歳男 暇で始めたツイッターで彼女が出来る

私は20代の男性で普段はサラリーマンをしています。

会社と自宅との往復で出会いのない日々を過ごしていたのですが、ある日暇すぎてツイッターを始めたところ人生が変わりました。

最初は何気ない日常に関するツイートをしていたのですが、それに飽きてしまい、途中からはネタツイートというツイートの中でボケたりふざけたりするようなツイートを始めました。

すると需要があったのか段々フォロワーが増えてきて、最終的には5000人ぐらいのフォロワーになりました。

フォロワーが増えてくると、そこから同じようにネタツイートをしている人との交流が始まりました。

最初はツイッター上やラインの中でふざけていただけなのですが、実際に会うことも増えて、同じような人達と居酒屋で飲んだり、一緒にバーベキューをしたりなど単に友だちがどんどん増えていったような感覚です。

そのようなツイッターの利用者の中にも女性は何人かいるのですが、その中の一人が今の彼女となりました。

それが私の人生で一番ラッキーだったと思うことです。

婚活などをせずに彼女を作ることができました。

それに、普段の付き合いの中ではきっと知り合えなかったような気の合う人とお付き合いをできていることがとても幸せです。

またネタツイートをしているだけあって、ユーモアがあって普段の会話も弾みます。

バラエティ番組やお笑いなども好きなことも共通点としてあって非常に話しやすく助かっています。

普段何もしていないに等しい私でしたが、ツイッターに登録するぐらいのことから運命が転がりだしたので、本当に何気ないことでも行動することは大切なんだなと思いました。

同じような経験が皆さんにも出来るかどうかはわかりませんが、暇で暇で仕方ないときは新しい何かを、本当に何気ないことでもはじめて見ることが大切だと思ったので、皆さんもそうしてみてはいかがでしょうか。

人生のラッキーはどこに転がっているかわからないですからね。

30歳 女性 両親の元に生まれた幸運

私は30歳の会社員の女性です。

私がラッキーだったと思うことは、「両親の元に生まれてきたこと」だと思います。

私は、生まれた時から小さく生まれ、その後、現代に至るまでさまざまな病気をし、その病気と闘ってきました。

そのため、日常生活を送るなかでどうしてもできないこと、制限がかかることがありました。

大人になった今、それは致し方ないということが十分に理解できるのですが、幼い頃の私は理解できないこともあり、不平や不満を両親にぶつけることがありました。

そんな時、両親は事細かに事情を説明してくれました。

辛抱強く、忍耐力を持って接してくれていたと思います。

また、可能な限り、私がやりたいことや興味があることをやらせてくれました。

また、どうしても入院しなければならない時など、外に出られない時などは、さまざまな本を買い与え、さまざまな世界があること知る機会を与えてくれました。

私がやりたいと言った習い事で可能なことは全てやらせてくれましたし、ホームステイなどにも万全の態勢で送り出してくれました。

大学にも進学させてもらい、体調が優れず、休学を繰り返しながら、そんななかでも励ましてくれ、精神的な支えとなってくれました。

体の辛さと入院生活のストレスで悲観的になる私の気持ちを励まし、ユーモア溢れる会話で私を笑顔にしてくれました。

そんな両親のおかげもあり、6年がかりで大学を卒業することができました。

社会人になってからも、体調を崩しがちな私を支え、一人暮らしという経験もさせてくれました。

両親は常に、病気の私ではなく、私個人の個性を尊重し、育ててくれました。

私が今思うことは、これからたくさん恩返しをしたいということです。

病気で体が辛い時など、ひどい言葉を投げかけたり、ひどい態度をとってしまったことは、私にとって大きな後悔となりました。

だからこそ、少しでも多く感謝の気持ちを伝えたいと思っています。

また、両親の元に生まれたことで、将来、我が子を育てる際のヒントをたくさん得ることができました。

これら全てのことに感謝しています。

二十代後半の男 中学時代に使い切った恋愛運

二十代後半のアラサー男です。

幸運がここまで都合よく連鎖することもあるんだ、と実感した瞬間を紹介させていただきます。

当時、私は中学3年生で、修学旅行で長崎に行っていたときです。

平和学習がメインだったのですが、班別にタクシーを貸し切って自由行動するという時間があり、私たちの班は資料館を最初に回る計画でした。

しかし、班長の友達が急に「水族館行ってから、資料館にするから」と言いだし、急遽水族館に向かったのですが、そこで当時私が好きだった子の班も一緒だったのです。

しかも彼女、薄暗い館内で走って転び足をひねったらしく、「そこの男子、ちょっと肩貸してあげて」と彼女の友達が言うのです。

真っ先に彼女に駆け寄って肩を貸し、館の外に設けられている休憩スペースまで一緒に歩いたのですが、「先生呼んでくるから」と女子の班全員が姿を消し、空気を察した私の班も「お前ら置き去りにするから」と去ってくれたのです。

休憩スペースの安っぽい白のプラスチックチェアに座り、私たちの間には沈黙が流れていました。

すると彼女が私に決定的なの一言を放ちました。

「あたし、前から好きだったよ」。

さらに帰りの電車なのですが、もともと彼女と座席が離れていたのですが、彼女の隣に座っていた女子が急に気分が悪くなった、と言い、窓際の一番前に座っていた私と席が交換になったのです。

全部ドッキリか、示し合わしがあったのだと思っていましたが、当時の同級生に聞いても、水族館に行くと言ったのも、彼女が怪我をしたのも、さらに彼女が私を想ってくれていたのも、さらにあの女子が急に具合を悪くしたのも、交換先が私の席だったのも、すべて偶然だったそうです。

手をつなぐのが精一杯で、一緒にご飯を食べに行ったりするくらいで、私たちはそのまま友人関係に戻りましたが、あのとき以上の偶然の重なりはこれからもないと思います。

あのひと時で、私の運はすべて使い果たしたようで、現在まったくモテない人生謳歌中です。